羽田 舜|占い師、占星術・神秘学・スピリチュアル研究家

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別れるべきか否か判断に迷ったときに二人で観る映画『ミッドサマー』

「トラウマ必須」
「胸糞悪い」
「グロい」
「記憶から消し去りたい」
カップルで観ると絶対別れる」
といったありがたい評価で名高いw、アリ・アスター監督の『ミッドサマー』をアマプラにて視聴。オカルト好きの私としてはなかなか興味深い作品だった。
(以下ネタバレあり)



物語の舞台は、北欧のペイガニズム夏至祭。そこに諮られたかのように招待されたアメリカの学生グループが人権無視の血なまぐさい儀式を目の当たりにし、次々と人身御供とされていく中、主人公の女子大生はダンスの儀式で選ばれし村の女王となり、同行したつれない態度をとる恋人に復讐を果たすという、まあおぞましい内容ではある。

スウェーデンのホルガ村に着いた学生グループ一同は、最初の儀式であるアッテストゥパンに衝撃を受ける。村では人生の締めくくりを9の倍数である72歳と考えられており、若者にバトンタッチするという意味合いで、村人が見守る中、崖から落ちて自死しなければならない。

人権感覚の進んだ現代人からするととても受け入れられない儀式だが、人身御供の文化は日本をはじめ世界いたるところに存在していた過去があり、野蛮で未熟な文化と断定することはできないだろう。

気づいたら仲間がいけにえのターゲットとされ、今度は自分の番なのではないか? というのがこの映画のサイコスリラー的な恐怖なのだが、決してそれが主題ではない。

村の女王になった主人公のダニーに対し、恋人のクリスチャンは村の女と結ばれ子種を授ける役割を担わされる。そのセックスの儀式をのぞき見てしまった女王のダニーは、悲しんで泣き叫び、悪魔払いのいけにえの一人としてダニーを指名する。
9人のいけにえが燃えるテントを前にして、村人は大げさな悲嘆を演じることによって共同体の存続と結束を高める。現代人の感覚が残るダニーははじめこそ戸惑い、恐怖に震えていたが、やがて狂気が降りてきてギラついた笑顔で物語は幕を閉じる。

アリ・アスター監督はこのラストシーンについて脚本にこう書き記しているという。
「ダニーは狂気に堕ちた者だけが味わえる喜びに屈した。ダニーは自己を完全に失い、ついに自由を得た。それは恐ろしいことでもあり、美しいことでもある」。

ここでいう自己とは、戦後につくられた人権感覚や個人主義に根差した現代人のアイデンティティのことだろう。
通常、自己とかアイデンティティは生まれた時代や環境、共同体のコモンセンスの範囲を逸脱することはできない。監督の言う「自己を完全に失い、自由を得た」というのは、現代人のアイデンティティから閉鎖的な空間の前近代的な北欧のコミューンにふさわしいアイデンティティに乗っ取られたとも考えられる。
それが「恐ろしいことでもあり、美しいことでもある」と監督は言っている。

常識とは何か、自己とは何かを考えるきっかけにもなる映画だ。
カップルで観ると、お互いの関係性に疑問を持ってしまいかねない。
マンネリになってしまったカップルが観るにはちょうどいいかもしれない。
すっきり別れられるだろう。